2011年8月31日水曜日

セシウムさん事件とひらひらのカーテン


今月4日に起きたいわゆる「セシウムさん」事件について、東海テレビはこのほど事態の経過を検証した番組を放送し、ネット上にも公表した。合わせて関係者の処分も発表した。問題の放送の動画と、今回明らかにされた局内のやりとりを見て、メデイアに携わる人間の一人としていろいろ考えた。
http://news.nicovideo.jp/watch/nw107117

このところ、Twitterが広く浸透した一方で多数の“事故”が発生している。いわば“ソーシャル失言”が招く炎上事件だ。某俳優のいわゆる韓流番組ごり押し批判発言などは典型だが、芸能人やメディア関係者だけでなく、一般人の発言が大事につながるケースも少なくない。それは、自動車が出回ったばかりの頃に交通事故が相次いだというのに似たものだと、私は捉えている。ソーシャルメディアも、こうした事故を経験する事で、何をしてはいけないのかという学習を重ねて、あるべき方向にまとまっていくのだろうと楽観視しているところだ。

例の「セシウムさん」テロップを作ってしまった担当者の心理も、このソーシャル失言をおかしてしまう人間に近い心理があったのだろうと思う。そして両者に共通しているのは、メディア制作の内側と、視聴者もしくはフォロアーにさらされる場を隔てる仕切りが、カーテン1枚ほどの厚みしかない事を忘れてしまっていたという事ではないかと思う。

私がいた(今もいるが)記事を書いて世の読者に読んでもらう仕事では、原稿が私の手元を離れてから読者の前に置かれるまでにいくつものフィルターを通される事になる。報道機関の例でいうと、所属部のデスクの目を通り、赤筆(校正担当)の目を通り、もう一度別のデスクの目でチェックされてる。さらに整理部のチェックを経て紙面に掲載される。その間に文章の整理や語句の訂正が施されていく。もちろん最初の執筆者でないと事実関係の正否が分からないことは多く、これらのフィルターでも見抜けないエラーはある。だが、どの部署もいるのは社会人の大人であり、セシウムさん的なバカな文言がそのまま外に出る事はまずない。

だが、このフィルターがどんどん薄くなっている事態が、悲しいかなメディア業界全般において起こっている。中間チェック部署は生産性が低いと判断されているのか、人員はどんどん縮小されている。またワープロの普及に伴って感じの誤植が多くなっている事もあって、非常識な誤字テロップが堂々と画面に登場したり、新聞の見出しに現れる事が多くなっている。いわば、観衆から見られては恥ずかしい楽屋とステージの間仕切りが、板の壁からちらちらとのぞき見られるカーテンくらいの薄さになってきているのである。セシウムさんテロップがスイッチャーのうっかりミスで画面に映ってしまったのは、まさにカーテンがちらっとめくれた瞬間だったのである。

そういう、カーテンがめくり上がる危険性は放送を送る現場にいる人間なら常に頭に入れておかなければならないイロハのイ。まして人員が少ない地方キー局の現場で、間違い防止フィルターが薄い事は誰もが身にしみて分かっていたはず。おそらく、例のテロップを作った担当者は、その意識が飛んでいたのだろう。人員の手薄も、慣れてしまえば感覚は麻痺してしまうもの。そうした悪しき条件が重なって、不意にめくれたカーテンの向こうに、放送局全体を危険にさらす放射性物質のようなものが露わにされてしまったというのが、事件の真相だろう。

こうして考えてみれば、くだんのトラブルがどのテレビ局、どのメディアにおいても起こるリスクを秘めていることがお分かりいただけると思う。その意味で私も含め、大いに考えなければならない一件と言えた。

さらにいえば、これはメディア業界に限定される問題ではない。先に指摘した通り、ソーシャルメディアが普及し、誰もが社会に向けて考えを述べられる状況が生まれた事で、ひらひらのカーテンはすべての人間の生活の中で意識されなければならなくなっているのである。以前なら居酒屋での酔っ払いの戯言で済まされた与太話も、それをそのまま字にして不特定多数の眼前に曝せば、めぐりめぐって戯れ言の中の人間に届き、強烈なしっぺ返しに見舞われることを知っておく必要がある。それは新たな文明の利器を得た人類に与えられた大きな代償と心得ておくべきだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿