2011年8月7日日曜日

なぜかスルーしてしまった「スター・ウォーズ」


現在、9月発売の「昭和40年男」の特集に取り組んでいる。次回のテーマは「宇宙」。物心ついたばかりの頃、人類が月に立った姿を見て始まった我々の人生にと向かい合おうというわけだ。で、私に与えられている役回りは「我々の宇宙観を育てたアニメ・映画」の厳選。自他共にオタクを認める自分にはうってつけ、のはずだ。

だが、問題はそう簡単ではない。確かに人より多くその手のコンテンツに接してきたはずではある。ウルトラセブンの最終回ラスト5分は映像を見なくてもすべて語れるほどだ。だが、一方でオタクなら当然、というより人類なら当然見ていて然るべき作品に真面目に接していないことにも気付く。

典型的なのが「スター・ウォーズ」だ。一連のスター・ウォーズサーガのうち、最初の映画として制作されたエピソード4「新たなる希望」が日本で公開されたのは全米に1年遅れての昭和53年。私が小学6年生の時だ。だが、劇場まで見に行こうという気は全く起きなかった。同時期公開された「宇宙戦艦ヤマト」の一連のシリーズはすべて初日に見に行った口なのに。これはなんなのだろう。

当時まだオタクという言葉はなかった。だから「オタクならこれとこれとこれは当然見ておくべき」というような範囲も特になく、単純に興味を抱いた作品に過度に執着していたに過ぎなかった。それが私にとっては、いい年こいてのウルトラセブンだったり、ヤマトだったりしたわけだ。その後ガンダムにも取り憑くことになるが。

だが、そんな流れの上に「スター・ウォーズ」はなかった。だが世界観そのものに興味を抱かなかったわけではない。日本公開前にコカ・コーラがやっていた王冠コレクションは集めていたし、R2D2やC3POの造形には確かに血が騒ぐものがあった。あるいはそれらを見せられたことですでにおなか一杯になっていて、映画の中での物語などどうでもいいと思ってしまったのかも知れない。つまり、オタクの原点はあくまでブツへのこだわりであり、そこで満足してしまうという、知ったかぶりともまた違う妙な性癖であるのだろう。

まあ、そんないい加減な野郎である私だが、次号ではこの「スター・ウォーズ」のフィーチャーを鋭意準備中だ。はたしてどんなページになるのか、9月10日発売の「昭和40年男」10月号にて確かめて欲しい。





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