2011年8月16日火曜日

たかだか20年前にあったこと


きのうは終戦記念日。昭和16年12月の太平洋戦争開戦から数えると今年でちょうど70年になる。私が生まれたのは終戦から21年たった昭和41年だが、小学生の頃のこの時期になると、自分が経験しなかった遠い歴史に思いをはせたものだ。

それは半ば強制的にというより、原爆の日の朝、いつもの朝ドラじゃない番組をやっていたり、終戦の日の正午になると高校野球の試合を中断して黙祷を捧げる様子を、街の夏祭りの同列の季節の風物詩として体験してきた習慣によるものだろう。

この日に合わせ、特にNHKでは特集番組を組み、廃墟となった東京の白黒映像がテレビに映る。いかにもはるか昔、という映像だ。これが私が生まれ育った街々の20数年前のものかというのが信じられなかった。

だが、2011年を生きている今、ふと思う。あの廃墟の東京はそんなに遠い時間のものなのかと。自分が生まれるたった21年前ではないかと。今から21年前はというと、1990年。もう平成は始まっていた。昭和の懐かしさとは対照的に、「平成」というと“つい最近”というのが我らの世代の感覚だ。だが、もう21年たってしまっているとも言える。

1990年といえばバブル経済の絶頂期。終戦時と高度成長期を比べた20年の変化とは全く正反対の意味で今とは隔世の時代でもある。だが、やはり我々には“つい最近”に過ぎなくもある。生まれる前の20年と、自分が生きてきた中での切り取った20年。ずいぶん違う感覚なのだなと思える一方で、どちらもたかだか20年と思うこともできる。

歳を重ねるにつれ、“たかだか”の20年の感覚が強くなってきているように思う。遠くなっていく戦争の時代が、返って身近になりつつある。人間の感じる時間間隔とは複雑で、且つ面白い。

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