2011年8月30日火曜日

人はなぜギリギリにならないとがんばれないのか(夏休み編)


8月もあと残り2日。最近の脱ゆとりの中の小学生はどう過ごしているのか分からないが、この2日間は街から子供の姿が消えるというのが昭和の風景だった。いうまでもなく宿題の追い込みである。

昨日も仲間内で話題になったのだが、人はなぜ、例え40日もの余裕を与えられても最後のギリギリにならないとエンジンがかからないのだろう。昨日話していた一人が指摘したのだが、宿題をいっぺんに出すからこうなるのであって、例えば1週間ごとに区切って分割して出していけば、子供とてコンスタントに消化することができるんだ、というのである。実際そういう研究結果もあるのだとか。まあぶっちゃけ、普段の宿題というのはそういうパターンで出されるわけで、それを夏休み中も続ければいいだけのこと、ということになるか。

だが、それでは夏休みだからこその宿題の意味はなくなってしまうとも言える。言い換えれば、学校の先生が楽できなくなるではないか、ということでもある。40日の夏休みにまとめて宿題を出すということは、子供たちの計画性が試されているというのが隠れた狙いなんだろうから、やはり分割方式はやり方としてずれている、というべきかも知れない。

などと曰っている現在、自分も目の前に迫った次号の締め切りに向け大詰めの状況だったりする。子供の頃の故事に習って、もうひと頑張りしなければと自戒するものである。

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