2011年8月15日月曜日

コミケに集まる50万人はみんなオタクなのか?


今年の夏コミも大盛況のうちに幕を閉じた。前年より少し入場者は減ったというが、それでも3日間で50万人を軽く越えた。最終日のきのうだけで20万人の人出があったという。私もその20万人の中にいた。

歳のせいか、開場前の長蛇の列に耐える自身はなく、今回は行列を避けて11時過ぎにビッグサイトに到着。それでも、建物の中でそれなりの行列ができていて、さらに節電で空調を弱めてるせいもあるのか、サウナのような空間をしばし通り抜けるハメになった。まあ、これも季節の風物詩なので許容範囲だ。

ふと不思議に思った。先日、横浜のイベントで参加したファンらが相次いで熱中症で倒れたというニュースがあったが、長年続いているコミケでこの手の話は一度も聞いたことがない。ちゃんと統計を取ってないだけなのかも知れないが、会場の周囲で救急車のサイレンが鳴り響くなどということも記憶にない。オタクは暑さには強いのだろうか。汗かきデブのイメージなのに。

同人誌ブースはどこも人人人。例年にまして歩きづらいようには思えた。やはり日曜に限っては人は増えてきているのだろう。

そこでもう一つ疑問が湧いた。俗に“オタク三大祭り”の筆頭(あとはSF大会とワンフェスね)といわれて久しいコミケだが、50万人もオタクが湧いてくるものなのかと。いつからこれほどの大人数になったかははっきりおぼえていないが、秋葉原がサブカルチャーのスタンダードに祭り上げられて以降、オタクの扱いには明確な変化が起こったのだと思う。我々が初期に体験した、キモイ、暗い、臭いといったオタクバッシングは20世紀の終わりとともに歴史の彼方に去り、2001年以降、深夜にアニメを見るのもゲームをやるのも、オタクに限らず誰もがやる普通の文化の中に浸透した。アニメはテレビ局にとっても稼ぎ頭であり、もはや単なるジャリ番の扱いではなくなっている。もう言い尽くされている分析かも知れないが、もはやオタクカルチャーは30歳より若い世代にとっては人格形成の一部に組み込まれた機能と言いきれる。その結実がコミケの50万人という形で現れているといえる。

一方、古参のオタクの間からは濃さが薄まりつつあるとの指摘もある。例えば、一時期企業ブースの半分くらいを締めていたエロゲメーカーの出店が極端に減った。いいことといえばいいことなのだろうが、一抹の寂しさも禁じ得ない。エロ要素はいま、専門業者の手を離れ、地上波でも放送される普通の美少女アニメの中にそこはかとなく挿入される形で生き延びているのが現状だ。素っ裸になった女の子の絵がパッと画面に登場するものの、不自然に差し込む光で局部は隠すというあざといやり方だ。でも、たぶん見ている若者は、あれで大満足とまでは行かないものの、納得はして楽しんでいると思うのである。見えない局部は妄想してしまえばいいだけのことだから。そう考えると、このコミケにおけるほどよいエロの位置づけこそが、表現におけるエロ描写の最適解なのかも知れない。その表現にはもちろん、スク水姿のコスプレなども含まれる。

昨今、エロ描写をめぐり公的な立場からあれこれ指摘する声が顕著だが、こと今年のコミケを見る限り、その指摘が的外れであることははっきり確認できたといえる。

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