2011年8月5日金曜日

オレんちの新聞にスクープが載ってない理由


このところ日本を代表する大企業をめぐる大スクープが相次いでいる。昨日は日立と三菱重工の経営統合の動きが報じられ、かなりビックリした。ほかにも、日立のテレビ国内生産からの撤退、東芝が携帯事業からの撤退などなど、とかく一般読者にはわかりにくい経済・産業記事も、これだけのビッグニュースには驚かされるはずだ。

この手の情報がこの時期、まとまって噴出する理由は幾つかある。一つは尋常ならざる円高水準。少し前には生命線といわれたはずの1ドル=100円などもはや夢の数字とさえ思えるような70円台後半というとんでもないレベルに、海外に市場を抱える日本企業は万策尽きつつある状態だ。とにかく考えられる手はすべて打てと繰り出した策の一部が、このようなスクープとなって現れている。一方で記者サイドもそんな小刻みに動く企業の重役の動きをフォローしながら、情報をつかんでは紙面に載せているというわけだ。他人の不幸は云々の理屈はさておき、経済紙記者にとってはまさに稼ぎ時だ。

だが、世はソーシャル時代。新聞読者が次々に離れていっている時代。そんな状況において興味深い事象がある。上に挙げた一連のスクープは、すべて特定の新聞による第一報が発信源となっている。が、その一方に接することができている読者はかなり限られている。早い話東京23区(一部を除く)の読者に限られるのだ。

そもそも新聞は印刷物であり、読者離れが顕著とはいえ、雑誌とは比べものにならないほどの部数を毎日さばく代物。そのため、新聞社のある東京からの距離に応じて4つのエリアに分け、1~2時間ずつずらして遠方エリアから順に、印刷所から配送されている。新聞の欄外にある「13版」「12版」と書かれているのがその区分けの印だ。朝刊の場合、一番早い、つまり最も遠方向けの「11版」通称早版の入稿締め切りは午後8時。ナイターのが終了しないうちに翌朝配る新聞は作られてしまうのである。田舎の民宿などに泊まって、置いてある新聞を読んだとき驚いた経験を持つ方もいるだろう。で、都内に配られる最終「14版」の締め切りは午前1時45分。その前の13版は午前零時で、おそらくこれが最も多くの読者がいる版だ。

で、問題はここから。先ほど上げたスクープが紙面に載るのは最終版のみなのだ。朝刊の紙面を紹介する朝のテレビ番組がよくあるが、あれをみて「うちのと違う」と思う人も多かろう。そのことを知っていて、自宅で定期購読しているにもかかわらず、わざわざ出勤途中の駅で新聞を買い直す人もいるだろう。

ここで素朴な疑問。「なんで新聞社はこんな差別をするの?」。一つは、上記で説明した物理的流通事情があるのと、13版まではライバル社が最終締め切り前に読める状況にあって、一般読者に届く前にスクープを潰される可能性があるためだ。

だが、こうした新聞社の体制や慣習は、私がその世界に入った1990年よりはるか前から続けてきた昭和の遺物だ。いまや「やじうま新聞」を待つまでもなく、最新情報はネットを通じてリアルタイムに誰もが接することができるようになっている。地道な取材活動によって得られた貴重な情報は確かに付加価値は高いが、その価値が読者離れを止める役目は残念ながら果たしていないのである。であるならば、取材が間に合わないといった時間の壁があるならともかく、版ごとに1面を差別するようなこそくな手段はそろそろやめるべきというのが私の提案だ。もはやそんなコップの中の争いにこだわっているときではない。

我々の生活に係わること、働く人々を少しでも救えるファクトを抱えているなら、しがらみを捨てて速やかな情報提供に務めるのがジャーナリズムの使命なのだから。下らぬしがらみを捨てた誠実さこそ、読者の信頼を確保する早道であることを、新聞関係者は知って欲しいと思うのである。




0 件のコメント:

コメントを投稿