2011年8月13日土曜日

昭和60年8月12日、テレビで見たこと


日本人として、あるいは20~21世紀を生きてきた人類として、記憶に刻んでおかなければならない日付というのが幾つかある。最近は大きな災害や事件が頻繁に起こるせいか、おぼえきれないというか、思い出したくもない日付が増えてしまっているが。それでも、8月にはそういう、記憶に刻むべき日付が多い。たいがいが戦争がらみだが、唯一、毛色が違うのがきのう、8月12日だ。

あれからもう26年もたった。昭和60年。当時大学受験を控えた浪人だった私は、夕方、テレビを見ていた。忘れもしない、TBSが映画「東京裁判」を2日連続でノーカット放送していて、その日が2夜目だった。そのビデオは今見実家に保存してあるが、状態が悪く今も見られるかどうか。だが、その映像は間違いなくわが記憶の中に保存されている。日航機墜落の速報テロップと込みで。

映画の放映時間は3時間くらいだったか。さすがに延々と見ているわけにもいかないと、7時半くらいにNHKにチャンネルを変えた。ちょうど7時のニュースが終わりかけていたその時、キャスターの松平定知アナウンサーが奇妙なニュースを読み上げた「日航機の機影がレーダーから消えました」と。へ?何のこと?そんな薄っぺらな反応以上のものはなかった。その時、あんな大惨事が起こっていたことなど思いもしなかった。

再びテレビのチャンネルを6に戻し映画の続きを見た。だが、映画を放送している間にも、頻繁にテロップが割り込んでくる。ただ、情報は断片的で、何が起こっているのかよく解らなかった。素人感覚で、民間航空機がロストすることが大変なことであるというところに結びつかなかったのだ。

そして9時になって、再びNHKにチャンネルを変えた。「ニュースセンター9時」の木村太郎キャスターが緊迫した面持ちで続報を伝えていた。さすがにここで、かなりまずいことが起こっていることが判ってきた。おそらくジャンボ機が落ちたのだということが。だが、私は返って違和感をおぼえた。この狭い日本で、あんなでっかいジャンボ機が墜落したなら、すぐに知らせが入るだろうと。だが、落ちたとの確報はしばらく立っても出てこなかった。すぐに思い出したのは2年前の大韓航空機撃墜事件。まさか打ち落とされて空中分解?それで機体が木っ端みじんで見つからない?そんなことさえ想像した。

結局日付が13日に変わる直前くらいだったか、自衛隊機が群馬の山林に日航機らしき機体が炎上しているのを発見したとの一報が、テレビから伝わってきた。群馬?大阪行きの飛行機が何でそんなところに?謎は深まるばかりだった。結局その夜のうちに一般人レベルが知り得た情報はここまで。乗客がどうなったのかとか原因はとかなどはぜんぜん判らず。私も寝床に置いたラジオを付けっぱなしにしながらそのまま寝てしまった。

そして朝、6時くらいのラジオのニュースが、日航機の墜落がはっきりしたことを伝えた。そして居間のテレビを付けると、画面に浮かび上がったのは山肌にへばりつくようにぺしゃんこになったジャンボ機の残骸と、周りから上がる煙だった。まだ火も見えていたと思う。事故に関して、私は単なるテレビ視聴者の域を出ないが、あの朝の映像は、そうそう忘れられるものではない。その時間を経験した一人として映像をきざみ、何らかの形で次の世代に伝えていく任務を負っているのだと、私は思っている。2011年3月11日のあの時に比べれば、たいしたことはないと後に言われるかも知れない。8月15日のように教科書に刻まれることもないかも知れない。だが、青春時代に体験したあの日の夜、あの日の朝の印象は、自分の中で何十年経ようとも絶対消えることはない。

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