2012年3月10日土曜日

昭和40年男最新号発売、ただの自転車特集じゃありませんぜ


お待たせしました。「昭和40年男」4月号、いよいよ本日無事、発売となりまし
た。

表紙をご覧になればお分かりのように、今回の特集は「チャリンコ」、西日本的にいえば“ケッタ”であります。

「昭和40年男といえばそろそろ40代後半だし、健康に気を配って自転車でもやろうよ」

などという昨今はやりのエコだの健康だのといういい子ちゃん的ない世だと思ったら大間違い。だってこの表紙の写真、見てご覧なさいよ。こんな自転車、いまどきどこを走っていますかって。

そう、あなたのはるか奥深くの記憶の中で走っていた電飾ビカビカの少年用自転車、そして憧れのドロップハンドルで決めたロードマン、小学生から高校の頃まで、わが分身とさえ言えた懐かしの自転車たちを取り上げたのが今回の特
集です。

あなたが乗っていたのは表紙のエレクトロボーイZ?ブリヂストンのアストロG?開閉ランプがイカすモンテカルロ?横開閉ランプのミヤタサリー?それらのすべてが約30ページくらいの中にひしめき合っております。多段変速やオイルディスクブレーキ、セミドロップハンドルとは何だったのか、ハンドルの上には何を載せてたっけ?などなど。

たぶんねえ、こんな特集を組んだ雑誌はブームだった当時を含めても日本初、
世界初だと思いますよ。その意味でも買っておく価値は大あり。


それとね、今回は創刊以来初、豪華付録が付きました。今年放送から45周年を迎えたわれらがヒーロー、ウルトラセブンに登場したすべての怪獣・宇宙人・怪人的なものを網羅(12話?何それ)したポスターです。

ちなみに裏面は、今月24日公開の最新作「ウルトラマンサーガ」の宣伝ポスターになっています。ここでちょっとご注意を。うっかりセブンのポスターに酔いしれていると、そばにいるお子さんに「サーガのポスターちょうだい」とせがまれてしまうかも知れませんからね。そんなときはどうするかって?もう1冊買うしかないですねw。




冗談はさておき(半分本気ですけど)、ほかにも「ウルトラマンサーガ」の監督をされた同じく昭和40年男のおかひでき監督や元プロ野球選手・野中徹博さ
ん(中京商業のエース、覚えてますよね)へのインタビューなど、昭和40年か
ら前後5年のレンジに入る人なら間違いなく楽しめる内容が満載です。

まあまずは本屋さんで見つけたらページをめくってみてくださいな。




2012年2月25日土曜日

昭和40年の小原糸子に学ぶ


放送も残り1カ月となり、どんどん面白くなってきているNHKの朝ドラ「カーネ
ーション」だが、きょう2月25日の放送分はついに我々が生まれた昭和40年、
41年に差しかかった。そこでヒロイン・糸子が言い切ったセリフは胸に刺さっ
た。

「時代はがらっと変わった。女はこれからどんどん足を出すようになる。お嫁
に行かれなくなるなんて関係ない。いや、むしろ行かんでもいい世の中にな
る」

昭和40年、五輪を目指してのいけいけどんどんはとりあえず終わり、五輪と引
き替えにびゅーっと吹いてきた世界からの風が瞬く間に日本のファッション
を、生活文化を変えていった。もちろんその影で“いけいけどんどん”のツケ
を払わされる時代にも入っていくのだが、ウルトラマンの体のように世界は色
を帯び、新たな主張をし始めた。

“強い日本”が作られていったのは、そういう10年間の空気だったんだと思
う。その風土で育った我々こそ、今一踏ん張りして“強い日本”に気合いを入
れなければならない。

2012年1月15日日曜日

“気になる存在”化に成功した「平清盛」


大河ドラマ「平清盛」が始まった。まず私の感想は、ほぼ期待通り。先にノベ
ライズや関連本で予備知識を蓄えておいたおかげもあるが、それが音となり映
像となったことにちょっとした達成感を覚えた。私の大河ドラマ好きを決定づ
ける原点になったのは、源平合戦から承久の乱までを描いた昭和54年放送の
「草燃える」なのだが、それを見て「その前の時代はどうだったんだ?」とい
う思いから歴史好きへとのめり込んでいった。もう少し早く生まれていれば
「新・平家物語」(昭和47年放送、まだ小学校にあがる前だった)も楽しめた
はずなのだが、残念ながらほとんど記憶にない(もちろんその後総集編のビデ
オは繰り返し見たが)。この、まさに「その前の時代」をやるのが今年の大河
であるのだから期待しないわけにはいかない。

そんな思い入れをまみえながら見たドラマは、一昔前の大河とは違うリアリテ
ィ追求路線というか、貴族から下働きの侍女まで小ぎれいな衣装を着てという
のではない、平安の現実をより忠実に描こうという画作りがなされている。こ
れは「坂の上の雲」や「龍馬伝」以来続いているNHKの手法であり、いまさら
驚くものではないが、幕末より800年も昔の世界なだけに、人によっては「汚
い」と声を上げるのも頷けないではない。まあ、このあたりは慣れの問題だと
思うが。

それにしても、放送後、これほど幅広い議論が飛び交っている大河ドラマはち
ょっと見た覚えがない。Yahoo!のドラマ評価のサイトでは5点満点中3点となっ
ているのだが、5点から1点までほぼ同程度の得票を得ている。見事に意見が分
かれている証拠だ。これだけ意見が飛び交うと言うことは、このドラマが良き
につけ悪しきにつけ“気になる存在”と認められたものと考えていいと思う。

もう一つ、このドラマが特徴的なのは、時代考証というものがこれまでになく
前面にクローズアップされている点だ。そこにはいくつか背景がある。一つは
昨年の大河ドラマ(敢えて作品名は言わない)が余りに時代考証を吹っ飛ばし
ているとの印象を見る側に与えてしまったことだ。大河ドラマはあくまでドラ
マであって歴史を勉強するためのものではないとは思うが、それも50作目とも
なると見ている側の歴史に関する知識も深まっており下手なフィクションを挟
むと激しい違和感を覚え、ドラマの格調を下げるのは間違いない。そのマイナ
ス点が前回の作品は余りに顕著だった。そのため「次こそはもっとまっとうな
歴史ドラマを」と望む声が強くなったのは必然と言える。もちろんNHKの制作
陣もその点は強く意識していたはずだ(と思いたい)。

そして時代考証を重視するもう一つの理由は、平清盛という主人公を扱う点に
あると言える。清盛の出生については謎が多い。生みの母さえはっきりしな
い。さらに実は通説とされる平忠盛の子ではなく、時の最高実力者・白河法皇
の落胤とする説が比較的説得力のある形で伝えられていることが、清盛をより
ドラマチックな人物にさせている。今回のドラマでは、この禁断とも言える白
河法皇落胤説を採った。史実の是非はともかく、意欲的な作家ならこの冒険を
犯したくなるのは当然だろう。ドラマもあくまでフィクションであるのだか
ら、本来この手の冒険は許容されるべきなのであるし。だが、ここに史実・時
代考証との衝突が当然ながら発生する。ドラマがこの衝突に打ち勝つには、史
実派をもうならせる骨太なストーリー展開を見せつける意外にないだろう。本
作のノベライズを読む限り、その期待を裏切ることはないだろうと思うのだ
が、あとは演出側の手腕にかかっているということだろう。

さらに、時代考証が思わぬ形で注目されてしまっているのが皇室周辺を「王
家」呼んでいるという問題だ。確かにこれまで学校教科書などを中心に歴史を
学んできた人々にとってはなじみがない言葉だ。さらに問題を複雑にしている
のは、皇室不可侵を唱える一定のイデオロギーを背景にした人々が強く異を唱
えている点だ。だが、ここは落ち着いて考える必要があろう。まずこの平安末
期は、白河法皇を初代とする院政が実権を握っていた。つまり天皇=帝より上
の存在が頂点に立っていたのである。だが、平家など下のものとしては帝をな
いがしろにするわけにも行かないわけで、これらをひとまとめにした呼び方は
どうするべきかという問題が生ずる。朝廷というと凋落傾向にあった藤原摂関
家なども含む広い意味になってしまう(平家も朝廷の一員)ので、院政を強調
する呼び方としてはニュアンスがずれる。では当時実際にどう呼ばれたかとい
うと、具体的なものは実はなかったなのだそうだ。だがそれでは台詞回しが成
り立たないと言うことで、当時の文献には割と頻繁に登場するという「王家」
という言葉を用いることを決めたと、NHKサイドは説明している。このあたり
の詳しい解説は、こちらのサイトに細かく書かれているので一読されることを
望む。

なお、報道によれば初回視聴率は史上3番目に低い数字だったとの情報があっ
たが、ビデオが普及しBSでの放送もあるドラマを図る指標としてはもはや不適
当と思うので無視することとする。

2011年10月8日土曜日

iPodと超合金


スティーブ・ジョブズは、iPodやiPhoneなど自ら発想したプロダクツのデザインに一切の妥協を許さなかったといわれている。その執念は自らの声による「Think Different」のCMの中に集約されている。、自分が発想したプロダクツの形は、作る側、売る側でなく、常に使う側の視点に立っており、自分こそがそのプロダクツの最高の使い手である確信に根ざしていた。このことを、「Stay foolish」と何ら恥じることなく実践し続けたことに、彼のすごさがあったのだと私は思う。私を含め、体裁ばかり期にしがちな凡人にはなかなか真似のできることではない。

そんなジョブズ的な思想を貫いた人物に昨日、幸運にも話を聞く機会を得た。その人の名は村上克司氏。我々の世代なら誰もが一度は手にした「超合金」を世に送り出した人物である。

村上氏が「超合金」に託した思いは、まさに使う側の視点、すなわち、テレビで毎週見ているマジンガーZを、ブラウン管に映ったそのままの姿で手にとって、わがものにしたいというぼくら子供たち(当時)の視点を、おもちゃで再現することにあった。いい加減な造形のものを渡してごまかすような真似は絶対してはならない、子供だましなんて口が裂けても言ってはいけない。おもちゃと言えども子供たちに“本物”を提示することが、モノ作りに携わる人間の使命なんだと、村上氏は熱く語ってくれた。それはまるでジョブズの霊が乗り移って語りかけていたように、私には思えた。いや、年齢や実績からすればジョブズよりも村上氏の方が先駆者といえるのである。

ものを作ることとは何か、世の中を切り開くこととは何か。それは種類や国や年代を問わず、常に本物を追求することに他ならない。その作業が例え端から愚行に見えようとも、決して手を休めてはならない。我々の幸運は、こうした先駆者の志によって形作られた本物たちによって育てられたことだと、気付かされる一日だった。

なお村上氏のインタビューの詳細は、11月11日発売予定の「昭和40年男」12月号に掲載の予定。こうご期待。

2011年9月22日木曜日

半年で何も学べていなかった都心のサラリーマンたち


きょうもまた不謹慎承知の話を書く。いうまでもなく昨夜の台風のことだ。夕刻からごった返す都心のターミナル。豪雨の中何十キロの道のりを歩いた帰宅しようとするずぶ濡れのサラリーマンたち。まるで半年前のビデオテープを見ているかのよう。東京以外の人々はさぞせせら笑っていたことだろう。「こいつら何も学習してないじゃん」と。

3月の大地震の時と昨日の台風とでは違った点が一つある。事前から予測できたことだ。しかも予測ベタの気象庁にもかかわらず、今回の台風はご丁寧なまでに当初の見込みに従って都心に突進してきた。だが、その違いがほとんどの人々の行動に表れていなかったのは、予測を舐めていたか、予測の情報を把握すらしていなかったということだろう。

しかし、情報を把握していなかったとは言え、落ち着いて考えれば昨夜の顛末がいかにアホらしかったかと、帰宅難民の渦の中にいた人々は今ごろ痛切に感じているのではないか?そう「少し待てば何とかなったのに」と。

台風は夜9時前にはほぼピークを過ぎ、我が家のある浅草上空は風こそ強かったものの晴れた夜空が望めた。つまり、いつものように居酒屋でちょいといっぱいやっていれば、何事もなく帰宅の途につけたのである。まあ、多少の混雑はあっただろうが。

何かことが起きたとき、とっさの判断が命の分け目、とは先般の大震災の教訓ではあった。だが、落ち着いて見渡すことも学んでいたはずだ。地震が発生した日も、夜10時頃には地下鉄や私鉄は運転を再開していたのだから。待つべき時は待つ、動かざること山のごとし、古人はしっかりその言葉を伝えている。

なぜ昨夜ああなったのか、電鉄会社に責任を押しつけるのではなく、自分の行動、職場の状況をまず見渡して今一度分析見ることが本当の反省だろう。

2011年9月21日水曜日

なぜかわくわくする台風襲来


きょうは敢えて不謹慎なことを書く。ご不快と思われる方はご容赦を。何の話かって、今迫りつつある台風の話である。被害に遭われている方々にはお見舞いを申し上げるほかないが、台風がやってくるとなぜかわくわくしてしまう心理が働いてしまうのである。いわゆる怖いもの見たさなのだろう。

東京に住んでいる身としては、このわくわく感が裏切られることが実に多い。“観測史上最強”“超大型”“うん百万人に影響”などと気象庁の予報やニュースの見出しが出てケースに限って、いざ台風がやってくるとどういうわけか直撃を避けて海にそれてしまったり、実はほとんど雨が降らなかったりなどというのがほとんどだったりするのだ。本当にやばいと感じさせる台風の襲来なんて、5年に1度がいいところだろう。であるからこそちゃんと来襲する台風は貴重というかレアというか、そんなのだからわくわくするのかも知れない。

これはすごかった台風というので思い出すのは昭和54年にやってきた台風20号だ。ちょうど今の時期だったと記憶している。朝から強い雨が降る中、中学へ登校したのだが、3時間目が終わったところで担任教師から「今日は給食が出せないので今から帰れ」といわれた。早く終わってくれるのは嬉しいのだが、当然外は集中豪雨。氾濫する川などはない地域だが、大雨の中で帰宅を強制するって、何を考えているのか。中学から自宅まではおよそ2キロ。登校時に乗ってきた自転車は学校に置いたまま、歩いて帰ることになったのだが、強風でぶっ壊れた傘の骨が道ばたのあっちこっちに転がり、強風でなかなか前に進めない。結局家に到着するまでに1時間かかったと思うが、当然着ていた制服はぐしょぐしょ。しかも家にたどり着いた頃には雨はかなり弱まっていた。もう少し学校も落ち着いて先を読めよと思ったものだ。

きょうやってくるとされる台風15号は、この32年前の20号とコースといいタイミングといいとてもよく似ている。はたして私の期待に応えてくれるだろうか。

2011年9月16日金曜日

「電子書籍元年」の続きはどうなった?


シャープが昨日、電子書籍端末GALAPAGOSの販売を9月いっぱいで終了すると発表した。発表によると、GALAPAGOS向けにやって来た書籍・コンテンツ配信は各携帯キャリア経由で出しているGALAPAGOS携帯にて継続するとしていて、あくまでシャープ独自で展開しているWi-Fi対応機をやめるだけという言い方をしている。

シャープの独自端末は原則ネットを通した販売オンリーで、ヨドバシカメラなど一部の店舗で購入を取り次いできたものの、月に数台売れればいい方だったとかで、明らかに販売方法を読み誤った結果と言えそうだ。いや、この方法は私に言わせれば「ハナから売る気がなかった」としか映らない。シャープが「ここで買えますよ」と客を誘導した形跡がほとんど見受けられなかったのだから。アップルが成功したのだからうちも、と言う思いがあったのだろうか。

いずれにせよ、シャープが電子書籍事業でつまずいた、そのことを業界に知らしめたニュースと言うしかないだろう。あるいはこれを“朗報”と捉えた同業者もいる気がしてならない。ライバルが1つ消えた、というよりは「うちもこれで撤退しやすくなる」と思ったのではないか?

iPadが日本で発売されてから1年4カ月。「すわ電子書籍元年だ」と騒いだのがウソのように、最近の電子書籍を取り巻く動きは穏やかだ。業界内の連合、企画サークル作りの動きなどはたびたび伝わってくるが、具体的にこういうサービスが始まる、わーすげー!、なんて話は一切ない。だが、出版界における危機感だけはじわりじわりと広がっている。

おそらく向こう3年は、試行錯誤が突くのだろうと思う。規格・端末の乱立が電子書籍業界立ち上げにとってマイナスであることは関係者誰もが解っているはずで、どの方向にまとめていくかを模索しつつ、覇権を競って行くことだろう。だがその中での本命が見えてこないところが気になるところ。また、取次業者を中心とした出版界の古い体質がそのまま電子書籍の世界に移行しようとの動きがあるのもネガティブな要素だ。

そんな中で出てきたシャープの動き。下手なターニングポイントにだけは、なって欲しくないものだ。