2011年9月12日月曜日

この10年で学んだこと これから日本人が生かすべきこと


2001年9月11日夜、その時間私は通信社のデスクでネットのニュース配信の編集をしていた。そこへ飛び込んできたのは「ニューヨーク貿易センタービルで爆発。航空機が激突した模様」と言う一方。最初浮かんだのは「ユナボマーの話?まだ蒸し返してるの?」てなもんで、ショッキングというのではぜんぜんなかった。すると間髪入れずに、デスク横のテレビに、よく解らない光景が映し出された。晴天のニューヨーク、煙が上がる高層ビル。そこへ、旅客機が1機やたら低空飛行で近づいてきた。後ろを通り過ぎるのかと思ったらそのままビルに衝突。

「え?」っと驚くとほぼ同時に「これは故意だな」と冷静に似られている自分がいた。だが一方でその状況が何で起きているのか、にわかに把握できなかった。そうこうしている間に2機目の飛行機がビルに突っ込んだと言う情報が入ってきた。「え?2機?なななにそれ?」。さらに少したって、今度はペンタゴンに飛行機が落っこちたと言う情報が。もはや何が何やら。

以上がちょうど10年前の日本時間夜10時から11時半頃にかけての自分が体験したいわゆる「911」の流れだった。そのあと、次から次へと入ってきた記事の対応に追われ、とりあえずその日の業務から解放されたのは朝の4時だったか。

その時、大惨事が起きたという認識はあった。これは事件などではなく新世紀スタイルの戦争なのかも、と言うことも直感で覚えた。でも、後にアメリカ人たちが言うほどに「大きな傷」と言う感覚は私には感じられなかった。彼らの中には、日本の原爆投下に匹敵するようなショックと表現するものもいたが、レベルが違うと思った。原爆の被害者の数を彼らは分かってないのだろう。しかも原爆では60年以上過ぎた今でも後遺症に苦しんでいる人がいる。それと911ごときを比べないで欲しい、正直そう思った。そういう反応を見たせいか、「911」を誇張していないかと言う思いが私個人には今もある。

だが、今年、大震災を経験して、さらに原発事故を目の当たりにして、10年前にアメリカ人が味わったインプレッションを少し理解できたように思える。人間はある一定以上(それがどれくらいからかは分からないが)強烈な惨劇を体験することで、冷静さや理性は砂上の楼閣が如く崩れ去るのだと。余裕がなくなるのだ。

人間、余裕がなくなると、相手を思いやる気持ちがもてなくなる。異なった意見を理解する機能が失われる。自分の信じたこと以外信用できなくなる。そして攻撃的になる。

911の時、ブッシュ政権(当時)はすかさず中東へ戦争を仕掛け、アメリカ国民はこぞってこれを支持した。「報復は倍返し」を大多数が後押しした。そしてアメリカ国内に住む中東計の人々にまでその攻撃の手は及んだ。そんな国民感情の奥底には、911の体験が「世界で一番悲惨な体験をしたアメリカ国民」というゆがんだ感情が生じていたのではないだろうか。

一方、今、震災後の日本では反原発、脱原発論が渦巻いている。確かに原発のリスクは大きい。そのことを我々は思い知った。だが、3月11日以前までは間違いなく和れっわれは原発の恩恵を受けてきた。その過去をないがしろにした反原発論に私は奇妙さを覚える。だが、そうした違和感を語ろうとするとたちまち攻撃的な言葉が飛んでくる。ネット上での反応は特に敏感だ。これも、自分が信じ込んだこと以外は一切認めようとしない、寛容さを失った人間の感情がなせる技ではないかと思う。

いま、アメリカでは政権が代わり、10年前の事件に端を発するナショナリズムの変化を反省する意見が聞かれるようになった。それは一つの時の魔法の効果と言えるだろう。東日本大震災からはまだたかだか半年。高ぶったままの国民感情の中で早まった判断だけは避けたい。それが911から10年で学んだ教訓ではないだろうか。

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