2011年7月29日金曜日

小松左京を失ったということ


日本SF界の巨人・小松左京が星になった。ネットのニュースやテレビでは「SF作家の草分け」という肩書きが踊っているが、この人ほど作家の枠から逸脱している作家もいない。どこかの新聞が「文明評論家」と書いていたが、これが最も実情に近いだろう。でもそれでもいい足りていない。

「日本沈没」「首都消失」などパニック映画の原作者というのが小松に対する一般的な位置づけだろう。だが、70年代の科学系テレビ番組には彼が必ずといっていいほど登場し、底知れぬ知識と気さくな表現方法で難解な科学の仕組みや日本の未来像をかみ砕いて語ってくれた彼の存在は、この時代の日本を知的レベルにおいてグンと引き上げてくれた。小松左京を受け継いでくれる人間が1人でもいてくれたなら、いまの日本もこんな悲しい国に落ちぶれてはいなかっただろう。それくらい、小松左京はスケールが大きかった。

彼の仕事を引き継いでいるのは立花隆や荒俣宏あたりだろうか。でも小松にはこの2人にないエンターテイメントな感覚が備わっていた。その背景には、青年期に漫画を描いたり、漫才作家までやっていた遍歴がある。つまり小松の語りは紛れもなく面白かったのである。この未来を面白く語る力が、いまのどの評論家にも欠けているのである。いま若手作家や評論活動に従事する人々には、小松のようなわくわくする未来を語れる力を磨いて欲しいものである(無論、自戒も含め)。

人は死ぬとお星様になると言われる。ならば小松左京星なるものには、地球よりはるかに進んだ文明があり常に希望に満ちあふれた世界が広がっていることだろう。かなうことなら死ぬ目出に一度、そんな星へ行ってみたい。





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