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2012年3月10日土曜日

昭和40年男最新号発売、ただの自転車特集じゃありませんぜ


お待たせしました。「昭和40年男」4月号、いよいよ本日無事、発売となりまし
た。

表紙をご覧になればお分かりのように、今回の特集は「チャリンコ」、西日本的にいえば“ケッタ”であります。

「昭和40年男といえばそろそろ40代後半だし、健康に気を配って自転車でもやろうよ」

などという昨今はやりのエコだの健康だのといういい子ちゃん的ない世だと思ったら大間違い。だってこの表紙の写真、見てご覧なさいよ。こんな自転車、いまどきどこを走っていますかって。

そう、あなたのはるか奥深くの記憶の中で走っていた電飾ビカビカの少年用自転車、そして憧れのドロップハンドルで決めたロードマン、小学生から高校の頃まで、わが分身とさえ言えた懐かしの自転車たちを取り上げたのが今回の特
集です。

あなたが乗っていたのは表紙のエレクトロボーイZ?ブリヂストンのアストロG?開閉ランプがイカすモンテカルロ?横開閉ランプのミヤタサリー?それらのすべてが約30ページくらいの中にひしめき合っております。多段変速やオイルディスクブレーキ、セミドロップハンドルとは何だったのか、ハンドルの上には何を載せてたっけ?などなど。

たぶんねえ、こんな特集を組んだ雑誌はブームだった当時を含めても日本初、
世界初だと思いますよ。その意味でも買っておく価値は大あり。


それとね、今回は創刊以来初、豪華付録が付きました。今年放送から45周年を迎えたわれらがヒーロー、ウルトラセブンに登場したすべての怪獣・宇宙人・怪人的なものを網羅(12話?何それ)したポスターです。

ちなみに裏面は、今月24日公開の最新作「ウルトラマンサーガ」の宣伝ポスターになっています。ここでちょっとご注意を。うっかりセブンのポスターに酔いしれていると、そばにいるお子さんに「サーガのポスターちょうだい」とせがまれてしまうかも知れませんからね。そんなときはどうするかって?もう1冊買うしかないですねw。




冗談はさておき(半分本気ですけど)、ほかにも「ウルトラマンサーガ」の監督をされた同じく昭和40年男のおかひでき監督や元プロ野球選手・野中徹博さ
ん(中京商業のエース、覚えてますよね)へのインタビューなど、昭和40年か
ら前後5年のレンジに入る人なら間違いなく楽しめる内容が満載です。

まあまずは本屋さんで見つけたらページをめくってみてくださいな。




2012年2月25日土曜日

昭和40年の小原糸子に学ぶ


放送も残り1カ月となり、どんどん面白くなってきているNHKの朝ドラ「カーネ
ーション」だが、きょう2月25日の放送分はついに我々が生まれた昭和40年、
41年に差しかかった。そこでヒロイン・糸子が言い切ったセリフは胸に刺さっ
た。

「時代はがらっと変わった。女はこれからどんどん足を出すようになる。お嫁
に行かれなくなるなんて関係ない。いや、むしろ行かんでもいい世の中にな
る」

昭和40年、五輪を目指してのいけいけどんどんはとりあえず終わり、五輪と引
き替えにびゅーっと吹いてきた世界からの風が瞬く間に日本のファッション
を、生活文化を変えていった。もちろんその影で“いけいけどんどん”のツケ
を払わされる時代にも入っていくのだが、ウルトラマンの体のように世界は色
を帯び、新たな主張をし始めた。

“強い日本”が作られていったのは、そういう10年間の空気だったんだと思
う。その風土で育った我々こそ、今一踏ん張りして“強い日本”に気合いを入
れなければならない。

2011年8月22日月曜日

カレーに醤油をかけてた頃


突然だが、皆さんはカレーに何をかけていましたか?醤油?ソース?それともケチャップ?

いったい何を言っている?という御仁がほとんどかも知れないがちゃんと答えを持っている方も少なくないはず。そう、その昔、我々はカレーに何かをかけていた。特に年配の方は、ジャブジャブかけてグルグルかき混ぜて食うのがたまらんのだ、という通が少なくない。でも、今そんなことをするのは変わり者の部類だろう。だいいちオジサンには塩分の取りすぎになりかねないし。

しかしなぜ、昔は醤油などかけていたのだろう。いろいろ調べたところ、昔のカレー、戦前のカレーのルーはわりと味が薄かったらしい。さらにスパイスの辛さに日本人が慣れていなかったため、醤油で中和していたということもあったようだ。

醤油かソースかについては目玉焼きと同様、かつては大論争があったはずだが、おおむね東日本は醤油、西日本はソースという傾向が強かったようだ。

結局カレーの味の変化から、論争は結論を得る前に自然消滅してしまったわけだが、はて、いつ頃我々はカレーに醤油をかけなくなったのだろう。

私の記憶では、16年前に名古屋で初めて食べたCoCo壱番屋のテーブルには醤油の瓶が置いてあった。ソースもあったが、これは基本的にカツカレー用。確か当時はココイチ専用醤油みたいな触れ込みで店の名物に仕立てていた。わたしも、7辛以上を注文したときはひとかけしていた。その後、1回使い切りサイズの袋入りのものがしばらく置かれるようになって、いつしかそれも姿を消した。今はもうない。推測するに、21世紀に入った前後には消えたように思える。つまり、カレーに醤油文化は20世紀とともに終焉を迎えたと結論づけられよう。

今では私もカレーに特に何もかけない(強いてかければトビからスパイスくらい)。でが何かかけなくては気が済まない本能が、いまだに気持ちの奥底でうずく瞬間を感じたりする。幼少期の刷り込みはそう簡単にぬぐい去れないのだろう。

そこで思った。昭和レトロにあこがれる需要を満たす狙いとして、少し味薄めの「醤油かけカレー」を商品化、もしくはお店のメニューに加えてはどうだろうか。子供には何のことやらかも知れないが、40代以上の大人には必ず琴線に響くはずだ。↓こんなものも実際出ているらしいし。

2011年8月21日日曜日

昔の少年ジャンプの話をしよう


最近はほとんど漫画雑誌など読まなくなったが、「少年ジャンプ」は強い影響を受けたのは間違いない。同世代の方なら同じ意見だろう。その「ジャンプ」、はて、いつから読むようにいなっただろうか。

たぶん最初は床屋。月に一度、浦和の家の近くの村田床屋というのにいくことがほぼ義務づけられていたのだが、そこの待合席においてあったのはすべて「週刊少年ジャンプ」だった。しかも半年分くらいはまとめておいてあった。最初は幼稚園の頃のはずだから、「ど根性ガエル」や「トイレット博士」あたりからだと思う。野球マンガでは「侍ジャイアンツ」があったが、巨人は好きじゃなかったので読もうとはしなかった。そのためか、「ジャンプ」=ギャグマンガの宝庫というイメージが私個人の中には染み付いている。

「ど根性ガエル」はメジャーすぎるのでここでは割愛。「トイレット博士」というのはまた不思議なマンガだった。、話の中にトイレット博士なる人物がぜんぜん出てこなかったのである。スナミ先生というのが出てくるが、これが別名トイレット博士なのかとも思ったが、そんな描写はいつまでたっても出てこない。実は連載開始からしばらく後、企画変更があったせいなのだそうだが、私が読み始めたのは途中からだったためこんなことになっていたわけだ。そんな事情がありながらも、タイトルは変えずに連載を続けているとは、ずいぶん大らかな編集というかずぼらな作者というか。

それでも、下ネタオンパレードの「トイレット博士」はインパクトあったなあ。ちょうど世間で六価クロム汚染が話題になった頃、給食のカレーを床にぶちまけたのを見たスナミ先生が「これは六価クロムに違いない」とやっていたシーンはいまだ何忘れられない。


「トイレット博士」とほぼ入れ替わるタイミングで始まったのが「こちら葛飾区亀有公園前派出所」だ。何だこの長ったらしいふざけたマンガは、というのが最初の印象。でも、絵のすごさにたちまち引き込まれた。今ではどのマンガでも当たり前の手法だが、実物の車や街の背景を実物そっくりに書き込むという方法を見たのは「こち亀」が始めてだった(同時期のマンガでは「ワイルド7」の望月三起也も得意としていたが)。いまだに連載が続いているとは、当時想像だにしなかったが、長く続いている理由もまた、当時の作風から納得できるところもある。

その後しばらく、ジャンプを読む機会が減ることになる。復活するのは「ドクタースランプ」がブームになる頃から。そのあたりの経緯はまた後日。

2011年8月17日水曜日

ウルトラマンはファッション?いや伝統芸能だ



きのう(8月16日)発売のPEN9月1日号には正直、ビックリした。PENといえば大人の男のファッションに重心を置いたカルチャー誌。そんな大人の雑誌が今回表紙に据えたのはウルトラマン。特集は円谷プロ大研究ときた。


ファッション誌とウルトラマン。これほどのミスマッチもないものだが、よくよく考えるとそうでもない理由が見えてくる。今年はウルトラマン(その前のウルトラQも)がテレビ放映開始から45周年。初代を本放送で見た子供も今や、社会の中間管理職から役員レベルに差しかかろうとしている。ウルトラを知らない社会人はむしろいないと言っていい。ウルトラマンは普段はいてるジーパンやTシャツくらいに身近な存在であるわけで、そういう格好良さを競おうというのならウルトラマンをファッションアイテムと捉えて何のはばかることやあらん、だ。

私が手がけている雑誌「昭和40年男」でもウルトラがらみの記事はたびたび書いていて、書き重ねることにウルトラマンの偉大さを噛みしめている。読者層的にはほぼ重なるPENの編集部も思いは同じだろう。
ウルトラマンのすごさは様々あるが、40代半ば以上の我々とその子供たちが同じ番組を同じ視点で同時に感動し、笑える人類史上唯一のコンテンツではないかと私は確信している。

親子二代、3代で楽しめるヒーロー作品は仮面ライダーやゴーカイジャーもそうだが、これらの場合、同じ番組を親子で見ながらも受けるポイントが親と子でズレがあったりする。子供は合体ロボが登場するシーンに興奮するのだが、我々はかつての戦隊ものに出ていた懐かしの役者が登場する場面にニンマリするといった具合。

ところがウルトラマンの場合、45年前のバルタン星人とイデ隊員が交わすやりとりに、親と子が同時に笑ってしまい、バルタン星人が分身するトリック撮影に今でも度肝を抜かれるのである。このウルトラの恒久感はちょっとほかの作品ではお目にかかれない。それはワンパターンというのとは違うのである。

先にウルトラマンもファッションと書いたが、こう考えるとライダーや戦隊などほかのヒーローものがファッションであるのに対し、ウルトラマンは伝統芸能と捉えた方がいいかもしれない。歌舞伎や浄瑠璃と同列なのである。ウルトラマンも初代からセブン、帰りマンと来て最新のウルトラマンゼロまで代々受け継がれているヒーローの役目は歌舞伎役者の名跡襲名と重なるではないか。

ではなぜ、そんな伝統宇芸能に到達するウルトラマンカルチャーが誕生し得たのか。それはこの紙面にぎゅっと詰まっているので熟読して頂ければと思う。ずっと見続けてきた濃いファンも、子供に釣られて久々に記憶が甦ったという方にも絶対満足のいく内容である。あ、私は別に書いてませんがね。書きたかったなあ。

2011年8月16日火曜日

たかだか20年前にあったこと


きのうは終戦記念日。昭和16年12月の太平洋戦争開戦から数えると今年でちょうど70年になる。私が生まれたのは終戦から21年たった昭和41年だが、小学生の頃のこの時期になると、自分が経験しなかった遠い歴史に思いをはせたものだ。

それは半ば強制的にというより、原爆の日の朝、いつもの朝ドラじゃない番組をやっていたり、終戦の日の正午になると高校野球の試合を中断して黙祷を捧げる様子を、街の夏祭りの同列の季節の風物詩として体験してきた習慣によるものだろう。

この日に合わせ、特にNHKでは特集番組を組み、廃墟となった東京の白黒映像がテレビに映る。いかにもはるか昔、という映像だ。これが私が生まれ育った街々の20数年前のものかというのが信じられなかった。

だが、2011年を生きている今、ふと思う。あの廃墟の東京はそんなに遠い時間のものなのかと。自分が生まれるたった21年前ではないかと。今から21年前はというと、1990年。もう平成は始まっていた。昭和の懐かしさとは対照的に、「平成」というと“つい最近”というのが我らの世代の感覚だ。だが、もう21年たってしまっているとも言える。

1990年といえばバブル経済の絶頂期。終戦時と高度成長期を比べた20年の変化とは全く正反対の意味で今とは隔世の時代でもある。だが、やはり我々には“つい最近”に過ぎなくもある。生まれる前の20年と、自分が生きてきた中での切り取った20年。ずいぶん違う感覚なのだなと思える一方で、どちらもたかだか20年と思うこともできる。

歳を重ねるにつれ、“たかだか”の20年の感覚が強くなってきているように思う。遠くなっていく戦争の時代が、返って身近になりつつある。人間の感じる時間間隔とは複雑で、且つ面白い。

2011年8月14日日曜日

ナポリタンだよ!全員集合


昭和の子供の大好物といえば、カレー、ラーメン、そしてスパゲティが3大料理だ。ことにスパゲティは、ナポリタンかミートソースに限る。最近のこじゃれたイタメシ屋で出されるバジルがどうのとかオリーブがどうのとかそんなのではない。トマトケチャップで炒めた真っ赤っかあなあの感じがいいのである。え?あんなダサイのの本場のナポリにはない?そんなことはどうでもよい。あれが日本の洋食の色なのだ(日本の洋食という時点で言葉が破綻しているが)。間違っても“パスタ”などと呼んではいけないのである。

そのスパゲティ・ナポリタンに、ここ数カ月凝っている。自宅でもやたら作るようになった。きっかけは、とある仕事の合間、渋谷のビルの谷間で見つけたスパゲティ屋との出会いだった。一見風俗店のような看板に書かれた店の名前は「パンチョ」。イタリアというよりはメキシコっぽいが(旗を横にしただけ?)、入り口に貼られていたスパゲティナポリタンの赤々とした写真に反応した。しかもスパゲティの上には厚切りのベーコンやとろけるチーズが載っている。おお、これだよこれ、昭和の洋食の感覚。最近じゃ地元浅草でも少なくなった昭和感覚の佇まい。

有無をいわさず店に入ると、いかにも安っぽい感じ(褒めてますよ)だが、おいしいものが出てきそうな匂いが漂っていた。しかも、壁を見渡すと懐かしめの映画のポスターがベタベタと。80年代を中心に一世を風靡した邦画のものばかり。本当に昭和だ。席に座ると、目に入ったのは粉チーズがガバッと入った容器と、タバスコのぶっとい瓶。いずれも容赦なくぶっかけてくれといわんばかりだ。

そして待つこと数分、注文したチーズ載せ400㌘が運ばれてきた。銀色の皿も昭和40年代な感じ。真っ赤なスパゲティには刻んだソーセージとガバッとかけられたピザ用チーズ。もう子供が大好きなものばかりの取り合わせ。これにさらに粉チーズを大さじ2杯まぶして、ガブ!う~ん、想像と寸分狂わぬ豪快な味。気を衒わない素朴な味わい。逆に言えばほとんど面倒な味付けはしていない粗雑さが、何とも言えなかった。

うまかった。それと同時に「これならうちでも作れるわ」と、週に1度は家で作るようになったのである。

その後、調べてみるとこの「パンチョ」、御徒町の駅前にもあることが判明。秋葉原へ行く途中で立ち寄ったこともあったが上野広小路からというのはちょっと面倒で、最近は行ってなかった。

ところが、である。きのう秋葉原のPCパーツ街をぶらっとしていたところ、かの看板が目に入ってきた。おお、なんとこんなところに出店してくれたのか。場所はたったったたたーちばな書店のビルの地下、といえばお分かりだろう。この場所、しばらく新しいラーメン屋が進出してはすぐ閉店という経緯をたどっていたのだが、このパンチョはアキバの新定番になると私は確信する。あのテイストは今の井アキバにこそぴったりだ。案の定、オープン初日のきのうは行列ができていた。すぐはす向かいの伝説の豚丼の店や九州じゃんがらラーメンにとっては強力なライバル登場だ。アキバB級グルメの熱き戦いが再び始まった。

2011年8月13日土曜日

昭和60年8月12日、テレビで見たこと


日本人として、あるいは20~21世紀を生きてきた人類として、記憶に刻んでおかなければならない日付というのが幾つかある。最近は大きな災害や事件が頻繁に起こるせいか、おぼえきれないというか、思い出したくもない日付が増えてしまっているが。それでも、8月にはそういう、記憶に刻むべき日付が多い。たいがいが戦争がらみだが、唯一、毛色が違うのがきのう、8月12日だ。

あれからもう26年もたった。昭和60年。当時大学受験を控えた浪人だった私は、夕方、テレビを見ていた。忘れもしない、TBSが映画「東京裁判」を2日連続でノーカット放送していて、その日が2夜目だった。そのビデオは今見実家に保存してあるが、状態が悪く今も見られるかどうか。だが、その映像は間違いなくわが記憶の中に保存されている。日航機墜落の速報テロップと込みで。

映画の放映時間は3時間くらいだったか。さすがに延々と見ているわけにもいかないと、7時半くらいにNHKにチャンネルを変えた。ちょうど7時のニュースが終わりかけていたその時、キャスターの松平定知アナウンサーが奇妙なニュースを読み上げた「日航機の機影がレーダーから消えました」と。へ?何のこと?そんな薄っぺらな反応以上のものはなかった。その時、あんな大惨事が起こっていたことなど思いもしなかった。

再びテレビのチャンネルを6に戻し映画の続きを見た。だが、映画を放送している間にも、頻繁にテロップが割り込んでくる。ただ、情報は断片的で、何が起こっているのかよく解らなかった。素人感覚で、民間航空機がロストすることが大変なことであるというところに結びつかなかったのだ。

そして9時になって、再びNHKにチャンネルを変えた。「ニュースセンター9時」の木村太郎キャスターが緊迫した面持ちで続報を伝えていた。さすがにここで、かなりまずいことが起こっていることが判ってきた。おそらくジャンボ機が落ちたのだということが。だが、私は返って違和感をおぼえた。この狭い日本で、あんなでっかいジャンボ機が墜落したなら、すぐに知らせが入るだろうと。だが、落ちたとの確報はしばらく立っても出てこなかった。すぐに思い出したのは2年前の大韓航空機撃墜事件。まさか打ち落とされて空中分解?それで機体が木っ端みじんで見つからない?そんなことさえ想像した。

結局日付が13日に変わる直前くらいだったか、自衛隊機が群馬の山林に日航機らしき機体が炎上しているのを発見したとの一報が、テレビから伝わってきた。群馬?大阪行きの飛行機が何でそんなところに?謎は深まるばかりだった。結局その夜のうちに一般人レベルが知り得た情報はここまで。乗客がどうなったのかとか原因はとかなどはぜんぜん判らず。私も寝床に置いたラジオを付けっぱなしにしながらそのまま寝てしまった。

そして朝、6時くらいのラジオのニュースが、日航機の墜落がはっきりしたことを伝えた。そして居間のテレビを付けると、画面に浮かび上がったのは山肌にへばりつくようにぺしゃんこになったジャンボ機の残骸と、周りから上がる煙だった。まだ火も見えていたと思う。事故に関して、私は単なるテレビ視聴者の域を出ないが、あの朝の映像は、そうそう忘れられるものではない。その時間を経験した一人として映像をきざみ、何らかの形で次の世代に伝えていく任務を負っているのだと、私は思っている。2011年3月11日のあの時に比べれば、たいしたことはないと後に言われるかも知れない。8月15日のように教科書に刻まれることもないかも知れない。だが、青春時代に体験したあの日の夜、あの日の朝の印象は、自分の中で何十年経ようとも絶対消えることはない。

2011年8月12日金曜日

ハッピーロード大山


きのうの仕事先は板橋区の大山だった。池袋から東武東上線の各駅停車で3つ目。下町というのとは違うが、都心とほぼ隣接しているこの地域には独特の風情がある。駅を降りた目の前に広がる商店街・ハッピーロード大山がこの街の顔、この街のすべてと言ってもいいかもしれない。

実はこの大山、私にとってはちょっとした思い出の地だったりする。小学5年生の頃だから、今から35年くらい前か。当時鉄道少年だった私は(今でもそのスピリッツは消えたないが)特に鉄道模型に凝っていた。大山には、模型メーカー・グリーンマックスの直営店があって、月に1度くらい、浦和の家から通っていた。まだ小学生だったからちょっとした冒険だったが、友だちと一緒に電車に乗れるだけで嬉しくて、ぜんぜん怖さなどはなかった。

大山の商店街にアーケードができたのはちょうどその頃だった。今でこそ屋根の付いた商店街は地方都市などを含めどこにでもあるが、このハッピーロード大山が日本で最初ではなかったかと思う。まだわが地元浦和には大きな商業施設はなく(伊勢丹・コルソができるのはこの2年くらい後)、東京の商店街はひと味違うんだなと感心した記憶がある。

その大山を久々に歩いた。当時と比べてどう変わったかが判るほどの記憶力はないが、グリーンマックスまでの道順は身体がおぼえていた。ちなみにこの日の訪問先はそこからちょっと先(その話はまた後日)。商店街の真ん中あたりの角店を右に曲がると見える踏切の警報機が目印だった。そして30年ぶりのその店は、さすがになかった。だが警報機は、姿を変えて残っていた。グレーに塗られたその姿がちょっと痛々しい(写真)。調べたところ10年ほど前に店を閉めたそうだ(グリーンマックスの会社はもちろん残っているし、鉄道模型のキット<組み立てモデル>メーカーでは確固たる地位を維持している)。跡地は外資系損保の事務所になっていた。

まあ、時代の流れは仕方がない。訪問先での仕事を済ませた後、昼飯がてら商店街をぶらぶらと。30年前の周囲の店の記憶はほとんどないが、佇まいそのものは悪くない。浅草とはちょっと違うが、真昼でもそれなりの人通りはあるし、おいしそうな店も何軒か見受けられた。大山駅の立て付けも、エレベーターが最近新設されたようだが、おおむね30年前と同じ。またそのうち、時間を作って訪れてみたい。

2011年8月7日日曜日

なぜかスルーしてしまった「スター・ウォーズ」


現在、9月発売の「昭和40年男」の特集に取り組んでいる。次回のテーマは「宇宙」。物心ついたばかりの頃、人類が月に立った姿を見て始まった我々の人生にと向かい合おうというわけだ。で、私に与えられている役回りは「我々の宇宙観を育てたアニメ・映画」の厳選。自他共にオタクを認める自分にはうってつけ、のはずだ。

だが、問題はそう簡単ではない。確かに人より多くその手のコンテンツに接してきたはずではある。ウルトラセブンの最終回ラスト5分は映像を見なくてもすべて語れるほどだ。だが、一方でオタクなら当然、というより人類なら当然見ていて然るべき作品に真面目に接していないことにも気付く。

典型的なのが「スター・ウォーズ」だ。一連のスター・ウォーズサーガのうち、最初の映画として制作されたエピソード4「新たなる希望」が日本で公開されたのは全米に1年遅れての昭和53年。私が小学6年生の時だ。だが、劇場まで見に行こうという気は全く起きなかった。同時期公開された「宇宙戦艦ヤマト」の一連のシリーズはすべて初日に見に行った口なのに。これはなんなのだろう。

当時まだオタクという言葉はなかった。だから「オタクならこれとこれとこれは当然見ておくべき」というような範囲も特になく、単純に興味を抱いた作品に過度に執着していたに過ぎなかった。それが私にとっては、いい年こいてのウルトラセブンだったり、ヤマトだったりしたわけだ。その後ガンダムにも取り憑くことになるが。

だが、そんな流れの上に「スター・ウォーズ」はなかった。だが世界観そのものに興味を抱かなかったわけではない。日本公開前にコカ・コーラがやっていた王冠コレクションは集めていたし、R2D2やC3POの造形には確かに血が騒ぐものがあった。あるいはそれらを見せられたことですでにおなか一杯になっていて、映画の中での物語などどうでもいいと思ってしまったのかも知れない。つまり、オタクの原点はあくまでブツへのこだわりであり、そこで満足してしまうという、知ったかぶりともまた違う妙な性癖であるのだろう。

まあ、そんないい加減な野郎である私だが、次号ではこの「スター・ウォーズ」のフィーチャーを鋭意準備中だ。はたしてどんなページになるのか、9月10日発売の「昭和40年男」10月号にて確かめて欲しい。





2011年8月2日火曜日

懐かしの都電に会いに行こう「東京の交通100年博」


きのう8月1日は、都電の前身である東京市電設立からちょうど100年という記念日だった。いま江戸東京博物館ではこれを記念して、特別展「東京の交通100年博」が開かれている。東京とが運営する都電、都バス、都営地下鉄の歴史を、貴重な品々をたどりながら追想していくという内容だ。先週、さっそく行ってきた。

「昭和」という意味でやはり最も注目すべきは都電関連の展示だ。明治以来の貴重な資料類も興味深いが、何と言っても感動ものなのが、都電最盛期だった昭和30年代当時使用された全路線41系統のヘッドプレートの壁面展示だ。50年も前の代物がよくこれだけ揃って残っていたものだと、愛好家には感謝の思いだ。また、都電歴代の車両をお家の家系図になぞらえて大河ドラマ風に解説した図などもあり、展示物への苦労がうかがえてこれまた面白い。

また会場内には昭和40年代の都電廃止当時のニュース映像が流されている。いま思えば美濃部都政の大失策だと思うのだが、それを億目もなくさらす都の姿勢は寛大と評価すべきなのだろうか。余談だが、ちょうど私がそのVTRを見ている横で眺めていた中学生の一団が「これ、鳩山?吉田茂?」などと話していたのが気になった。昭和は遠くなりにけりである。

一方、博物館外には現存最古の都電車両6000系と札幌市電の冬の名物・ささら電車もおかれている。6000系は12月に公開される「ALWAYS 三丁目の夕日」の撮影に使われた後とあって、オープンセットの一部とともに並べられ、見学者の郷愁を誘っている。面白いのは電車の中の広告類。うっかりすると昔からはられたのかと思わせるような凝った作りが何とも。若い人ならまず騙されるだろうなあ。こういう、映画の画面にはまず現れないであろう細部まで作り込んでいるのは、小道具さんがいかに楽しんで仕事をしていたかをうかがわせる。個人的にCG作り込みバリバリの「三丁目の夕日」は今ひとつ好きにはなれないが、こういう仕事を目の当たりにすると心を動かされてしまうものだ。

ほかにも、都営地下鉄浅草線、三田線(昔は1号線、6号線と呼んでいましたね)の開通にまつわる懐かしい物件なども鉄道ファンなら要チェック。特別展は9月上旬まで行われているようなので、お時間があれば是非。