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2011年9月22日木曜日

半年で何も学べていなかった都心のサラリーマンたち


きょうもまた不謹慎承知の話を書く。いうまでもなく昨夜の台風のことだ。夕刻からごった返す都心のターミナル。豪雨の中何十キロの道のりを歩いた帰宅しようとするずぶ濡れのサラリーマンたち。まるで半年前のビデオテープを見ているかのよう。東京以外の人々はさぞせせら笑っていたことだろう。「こいつら何も学習してないじゃん」と。

3月の大地震の時と昨日の台風とでは違った点が一つある。事前から予測できたことだ。しかも予測ベタの気象庁にもかかわらず、今回の台風はご丁寧なまでに当初の見込みに従って都心に突進してきた。だが、その違いがほとんどの人々の行動に表れていなかったのは、予測を舐めていたか、予測の情報を把握すらしていなかったということだろう。

しかし、情報を把握していなかったとは言え、落ち着いて考えれば昨夜の顛末がいかにアホらしかったかと、帰宅難民の渦の中にいた人々は今ごろ痛切に感じているのではないか?そう「少し待てば何とかなったのに」と。

台風は夜9時前にはほぼピークを過ぎ、我が家のある浅草上空は風こそ強かったものの晴れた夜空が望めた。つまり、いつものように居酒屋でちょいといっぱいやっていれば、何事もなく帰宅の途につけたのである。まあ、多少の混雑はあっただろうが。

何かことが起きたとき、とっさの判断が命の分け目、とは先般の大震災の教訓ではあった。だが、落ち着いて見渡すことも学んでいたはずだ。地震が発生した日も、夜10時頃には地下鉄や私鉄は運転を再開していたのだから。待つべき時は待つ、動かざること山のごとし、古人はしっかりその言葉を伝えている。

なぜ昨夜ああなったのか、電鉄会社に責任を押しつけるのではなく、自分の行動、職場の状況をまず見渡して今一度分析見ることが本当の反省だろう。

2011年9月21日水曜日

なぜかわくわくする台風襲来


きょうは敢えて不謹慎なことを書く。ご不快と思われる方はご容赦を。何の話かって、今迫りつつある台風の話である。被害に遭われている方々にはお見舞いを申し上げるほかないが、台風がやってくるとなぜかわくわくしてしまう心理が働いてしまうのである。いわゆる怖いもの見たさなのだろう。

東京に住んでいる身としては、このわくわく感が裏切られることが実に多い。“観測史上最強”“超大型”“うん百万人に影響”などと気象庁の予報やニュースの見出しが出てケースに限って、いざ台風がやってくるとどういうわけか直撃を避けて海にそれてしまったり、実はほとんど雨が降らなかったりなどというのがほとんどだったりするのだ。本当にやばいと感じさせる台風の襲来なんて、5年に1度がいいところだろう。であるからこそちゃんと来襲する台風は貴重というかレアというか、そんなのだからわくわくするのかも知れない。

これはすごかった台風というので思い出すのは昭和54年にやってきた台風20号だ。ちょうど今の時期だったと記憶している。朝から強い雨が降る中、中学へ登校したのだが、3時間目が終わったところで担任教師から「今日は給食が出せないので今から帰れ」といわれた。早く終わってくれるのは嬉しいのだが、当然外は集中豪雨。氾濫する川などはない地域だが、大雨の中で帰宅を強制するって、何を考えているのか。中学から自宅まではおよそ2キロ。登校時に乗ってきた自転車は学校に置いたまま、歩いて帰ることになったのだが、強風でぶっ壊れた傘の骨が道ばたのあっちこっちに転がり、強風でなかなか前に進めない。結局家に到着するまでに1時間かかったと思うが、当然着ていた制服はぐしょぐしょ。しかも家にたどり着いた頃には雨はかなり弱まっていた。もう少し学校も落ち着いて先を読めよと思ったものだ。

きょうやってくるとされる台風15号は、この32年前の20号とコースといいタイミングといいとてもよく似ている。はたして私の期待に応えてくれるだろうか。

2011年9月12日月曜日

この10年で学んだこと これから日本人が生かすべきこと


2001年9月11日夜、その時間私は通信社のデスクでネットのニュース配信の編集をしていた。そこへ飛び込んできたのは「ニューヨーク貿易センタービルで爆発。航空機が激突した模様」と言う一方。最初浮かんだのは「ユナボマーの話?まだ蒸し返してるの?」てなもんで、ショッキングというのではぜんぜんなかった。すると間髪入れずに、デスク横のテレビに、よく解らない光景が映し出された。晴天のニューヨーク、煙が上がる高層ビル。そこへ、旅客機が1機やたら低空飛行で近づいてきた。後ろを通り過ぎるのかと思ったらそのままビルに衝突。

「え?」っと驚くとほぼ同時に「これは故意だな」と冷静に似られている自分がいた。だが一方でその状況が何で起きているのか、にわかに把握できなかった。そうこうしている間に2機目の飛行機がビルに突っ込んだと言う情報が入ってきた。「え?2機?なななにそれ?」。さらに少したって、今度はペンタゴンに飛行機が落っこちたと言う情報が。もはや何が何やら。

以上がちょうど10年前の日本時間夜10時から11時半頃にかけての自分が体験したいわゆる「911」の流れだった。そのあと、次から次へと入ってきた記事の対応に追われ、とりあえずその日の業務から解放されたのは朝の4時だったか。

その時、大惨事が起きたという認識はあった。これは事件などではなく新世紀スタイルの戦争なのかも、と言うことも直感で覚えた。でも、後にアメリカ人たちが言うほどに「大きな傷」と言う感覚は私には感じられなかった。彼らの中には、日本の原爆投下に匹敵するようなショックと表現するものもいたが、レベルが違うと思った。原爆の被害者の数を彼らは分かってないのだろう。しかも原爆では60年以上過ぎた今でも後遺症に苦しんでいる人がいる。それと911ごときを比べないで欲しい、正直そう思った。そういう反応を見たせいか、「911」を誇張していないかと言う思いが私個人には今もある。

だが、今年、大震災を経験して、さらに原発事故を目の当たりにして、10年前にアメリカ人が味わったインプレッションを少し理解できたように思える。人間はある一定以上(それがどれくらいからかは分からないが)強烈な惨劇を体験することで、冷静さや理性は砂上の楼閣が如く崩れ去るのだと。余裕がなくなるのだ。

人間、余裕がなくなると、相手を思いやる気持ちがもてなくなる。異なった意見を理解する機能が失われる。自分の信じたこと以外信用できなくなる。そして攻撃的になる。

911の時、ブッシュ政権(当時)はすかさず中東へ戦争を仕掛け、アメリカ国民はこぞってこれを支持した。「報復は倍返し」を大多数が後押しした。そしてアメリカ国内に住む中東計の人々にまでその攻撃の手は及んだ。そんな国民感情の奥底には、911の体験が「世界で一番悲惨な体験をしたアメリカ国民」というゆがんだ感情が生じていたのではないだろうか。

一方、今、震災後の日本では反原発、脱原発論が渦巻いている。確かに原発のリスクは大きい。そのことを我々は思い知った。だが、3月11日以前までは間違いなく和れっわれは原発の恩恵を受けてきた。その過去をないがしろにした反原発論に私は奇妙さを覚える。だが、そうした違和感を語ろうとするとたちまち攻撃的な言葉が飛んでくる。ネット上での反応は特に敏感だ。これも、自分が信じ込んだこと以外は一切認めようとしない、寛容さを失った人間の感情がなせる技ではないかと思う。

いま、アメリカでは政権が代わり、10年前の事件に端を発するナショナリズムの変化を反省する意見が聞かれるようになった。それは一つの時の魔法の効果と言えるだろう。東日本大震災からはまだたかだか半年。高ぶったままの国民感情の中で早まった判断だけは避けたい。それが911から10年で学んだ教訓ではないだろうか。

2011年9月11日日曜日

担当記者なら大臣のうっかり発言はその場で注意してやれよ


発足から10日足らずの野田内閣だが、早くも脱落者が出た。鉢呂経産相が舌禍の責任を取っての辞職、「またか」という思いだ。こんなことばかりやっていていいのかと。

政治家とは元来、人に話すのが仕事だ。多くの言葉を使う間に、うっかり名言葉を使ってしまうことも当然ある。記者が原稿を書き間違えるのと同じレベルの話だ。政治家のうっかり発言をいちいち取り上げて責任どうこうを振りかざす記者は、原稿を書き損じたことがないのだろうか。

鉢呂氏が口にした“舌禍”と言われる発言は2点。福島第1原発周辺を「死の街」と言ったことと、記者を囲んだうちわの懇談で「放射能が付いたぞ」(正確な言葉は不明)などと悪ふざけっぽくじゃれた件。

まず、「死の街」のどこが問題なのか、全く解せない。文字通り人っ子一人いなくなった街を、ゴーストタウンと言ってなぜいけないか?じゃあ、地方都市の「シャッター通り」よろしく「シャッターの街」ならOKだったのか?大臣が率直な感想を述べてことをなぜ記者たちは問題視するのか?その場にいた記者全員にアンケートしてみたいところだ。

もう一つ、これが致命的と言われる「放射能が付いたぞ」発言。やりとりを聞くに、子供のエンガチョ遊びだ。これをうちわの記者たちの前でしゃべったのだとか。きっと記者の中には「カギ飲んだ」と応じたヤツがいたに違いない。私だったらダブルエンガチョで対抗するが。

確かにこれは「死の街」と違い、不謹慎と言わざるを得ない。でも、ちょっと待て。大臣の前にいたのは記者ばかりなら、一人くらい「大臣、その言い方はまずいですよ」といなしたヤツがいてもいいのではないか。その一言さえあれば、大臣の首は繋がっていたのではなかったか?もしかしてこれって、記者連中による大臣いじめ?記者連中にとって鉢呂氏こそがエンガチョだったのか?

こんなことばかり繰り返して、ころころ大臣の首をすげ替えてばかりいるから、日本の政治から“使える人材”がいなくなるのだ。大臣だって人間、政治家だって人間。いくら選挙で民から選ばれた人間とは言っても、ノーミスノーリスクの完璧人間なんていない。うっかり発言があったらそれを浄化する方法は常識レベルでいくらでもある。何より、そんな些末なことなど構っていられない問題が、この国には山積していることは国民の誰もが知っている。新聞記者連中も自分の手柄ばかり追わず、もっと大局眼と懐の深さを養うべきだ。

2011年8月30日火曜日

人はなぜギリギリにならないとがんばれないのか(夏休み編)


8月もあと残り2日。最近の脱ゆとりの中の小学生はどう過ごしているのか分からないが、この2日間は街から子供の姿が消えるというのが昭和の風景だった。いうまでもなく宿題の追い込みである。

昨日も仲間内で話題になったのだが、人はなぜ、例え40日もの余裕を与えられても最後のギリギリにならないとエンジンがかからないのだろう。昨日話していた一人が指摘したのだが、宿題をいっぺんに出すからこうなるのであって、例えば1週間ごとに区切って分割して出していけば、子供とてコンスタントに消化することができるんだ、というのである。実際そういう研究結果もあるのだとか。まあぶっちゃけ、普段の宿題というのはそういうパターンで出されるわけで、それを夏休み中も続ければいいだけのこと、ということになるか。

だが、それでは夏休みだからこその宿題の意味はなくなってしまうとも言える。言い換えれば、学校の先生が楽できなくなるではないか、ということでもある。40日の夏休みにまとめて宿題を出すということは、子供たちの計画性が試されているというのが隠れた狙いなんだろうから、やはり分割方式はやり方としてずれている、というべきかも知れない。

などと曰っている現在、自分も目の前に迫った次号の締め切りに向け大詰めの状況だったりする。子供の頃の故事に習って、もうひと頑張りしなければと自戒するものである。

2011年8月26日金曜日

ビニール傘もゲリラ雨対策を


世に言うゲリラ豪雨がこのところ頻発している。先ほども昼飯を食っている最中にすさまじい降りに会い、店の中で立ち往生を余儀なくされてしまった。何とか向かいのローソンに飛び込んで、ビニール傘を調達して帰宅したところだ。

だが、500円で買ったビニール傘もゲリラ豪雨の中では気休め以上の何ものでもなく、結局膝から下はびしょびしょ。背中もショルダーのカバンも悲惨なことになってしまった。

そこでふと思ったのだが、コンビニ売りのビニール傘、もっとでかいものにするべきではないだろうか。

一般的に、雨が降ると店におかれるのは長さ65センチ程度のジャンプ傘と、片手で開く折りたたみ傘の2種類というのがほとんど。きょうのようなゲリラ雨ではほとんど役に立たない。いわんや折りたたみなどカネのみだというものだ。だが、とっさに必要になるときに降っている雨はきょうのように強烈なケースがほとんど。弱い降りならわざわざ傘は買わない。

ならば、ゲリラ豪雨対策として売り出す傘なら、半径80センチくらいの大きいかさの方が有効なはずだ。あるいはカバンも含めて身体全体をガバッと包むような簡単なカッパ(衣服然としている必要はない)なども有りなのではなかろうか。

多発するゲリラ雨だが、新商品のヒントはそこかしこに隠れている気がするのである。

2011年8月25日木曜日

夏よ、もっと気合い入れろよ


どうも今年の夏はやる気が感じられない。去年はあれほどすごい夏だったのに。節電がノルマとなっている元ではなるほど、好都合かも知れないが、夏はちゃんと暑くなければ夏じゃないのである。

8月前半は確かに暑かった。それはいい。でもそれはあくまで普通の状態。そこへ行くと今週や7月末のていたらくは何だ?せっかく夏なのに、無駄な時間を費やしやがって。

9月は多少暑いなんて予報が出ていたが気象庁のいうことなど千三つもいいところであり、もはや信用する材料は欠片もない。

また台風が近づいているようだし、天気図を見る限りしばらく夏っぽさは期待できそうにない。などといってる間に8月はもう5日しか残ってない。どうしてくれるんだこの野郎。

って、誰に怒っても詮無いことだが、せめて9月の彼岸までにはもうちょっと夏らしさを発揮して欲しいものだ。

そんな中で明後日は、異例ではあるが夏の残り香のように隅田川花火大会が開催される。小雨なら決行するようだが、雲行きが非常に気にかかる。

2011年8月23日火曜日

昭和40年男と映画


現在、私のメイン仕事である「昭和40年男」10月号(9月10日発売)の編集作業が佳境に入っている。今回の特集テーマは「宇宙」と銘打っているのだが、これまでとはちょっと違うコンテンツを扱ってみた。それは映画「スター・ウォーズ」である。詳細は発売後のお楽しみだが、「スター・ウォーズ」よりもここでの力点は「映画」という単語の方にある。

これまで「昭和40年男」では、テレビ全盛時代に育った我々という史実を念頭に、「ウルトラマン」や「仮面ライダー」、「8時だヨ全員集合」などの人気テレビ番組を多く扱ってきたのだが、「映画」というのは微妙な存在だった。

今では様相は変わったが、昭和40~50年代当時、映画はテレビによって娯楽の王様の座を追われ、人々の習慣の中心から徐々にはずれていっていた。だから、30年代を知る人ほどには映画作品における共通体験というのがないのだ。

そこに変化をもたらしたのは劇場版「宇宙戦艦ヤマト」の登場あたりからだと思うが、その翌年公開された「スター・ウォーズ」でさえ、SF映画の金字塔であるにもかかわらず、「オレたちみんな見に行ったよな」とはすっぱりと言い切れなかった。宮崎アニメが幅を利かせ出した頃からはそういう言葉を映画に使うこともできるようになったのかも知れないが、少なくとも昭和55年くらいまでは“映画は遠い存在”という逆説的共通認識が昭和40年生まれ前後の世代には確かにあったと思う。取り分け洋画に対してはその傾向がいまだに続いているように思える。

このあたりは今後の特集を考える上で、押さえておかなければならない条件なのかなと思っている。
「あなたが見て印象に残っている映画は何ですか?」一度まとめて調査してみるべきかも知れない。

2011年8月18日木曜日

エアコンの甘い蜜


この十日あまり猛暑が続いている浅草である。前にも書いたが、この時期暑いのは陽が東から昇って西に沈むくらいに普通のことで、そこを殊更騒ごうとは思わない。だが、昨今、というか今年の夏に限ってのことでもあるが、テレビの情報番組などで「エアコンを上手に使って体調管理を」と呼びかけている様子には弱冠の違和感をおぼえる。

言わずもがな、今年は節電必至の夏。電力消費量が去年の最ピークの70~80%に押さえられているのはこの考えが浸透し、国民こぞって実行している証だ。ほかのことでもこれだけ国民が一丸なれば何かが変わるのではないかとさえ思ってしまう。そんな節電努力を心がける一方で、「エアコンを付けろ」というメディアの言葉は水を差しているようにも感じられるのだ。

もちろん、過度の節電をする必要はなく、節電しすぎたあまりエアコンを付けるのを我慢して体調を崩す(下手すると死に至る)人が出るのを押さえる意味であるのは百も承知。

だが、あまりエアコンに依存しすぎて体調をおかしくすることがあるのも周知の通り。つい最近までは「エアコンの付けすぎには注意しましょう」なんて呼びかけがテレビからも盛んに成されていたはずだ。CO2削減の観点からもエアコン使用を押さえたほうがいい、そういう言い方だったはずだ。結局、エアコンは付けたほうがいいのか使ったほうがいいのか。結局最終判断は自分次第、というワケか。

そんな中で自分はどうかというと、この一週間ばかりは1日平均6時間くらい、エアコンを回している。それ以外の時間は外出時を除き、ベランダの冊子と洗面所の窓を開けっ放しにして風を通し、扇風機と組み合わせて対処している。日当たりがいい部屋ではあるが直射日光はうまい具合に入ってこず、適度な風が肌に優しい。マンションの7階というのもメリットが大きい。

正直、電気代がもったいないからと言うのが冷房を抑えている最大の理由なのだが、慣れてしまうと実に心地がよい。むしろ、冷房が効いた喫茶店に長時間滞在したあと外に出るときの反動を考えると、ほどよい暑さに長時間浸る方が健康的とさえ思える。

エアコンの涼しさは確かに魅力的。でもそれは禁断の蜜の味のようにも思える。それはどこか、昨今の原発要不要論にも通じるようにも思える。いずれも、人間の感覚のコントロールが大事ということは間違いない。

2011年8月15日月曜日

コミケに集まる50万人はみんなオタクなのか?


今年の夏コミも大盛況のうちに幕を閉じた。前年より少し入場者は減ったというが、それでも3日間で50万人を軽く越えた。最終日のきのうだけで20万人の人出があったという。私もその20万人の中にいた。

歳のせいか、開場前の長蛇の列に耐える自身はなく、今回は行列を避けて11時過ぎにビッグサイトに到着。それでも、建物の中でそれなりの行列ができていて、さらに節電で空調を弱めてるせいもあるのか、サウナのような空間をしばし通り抜けるハメになった。まあ、これも季節の風物詩なので許容範囲だ。

ふと不思議に思った。先日、横浜のイベントで参加したファンらが相次いで熱中症で倒れたというニュースがあったが、長年続いているコミケでこの手の話は一度も聞いたことがない。ちゃんと統計を取ってないだけなのかも知れないが、会場の周囲で救急車のサイレンが鳴り響くなどということも記憶にない。オタクは暑さには強いのだろうか。汗かきデブのイメージなのに。

同人誌ブースはどこも人人人。例年にまして歩きづらいようには思えた。やはり日曜に限っては人は増えてきているのだろう。

そこでもう一つ疑問が湧いた。俗に“オタク三大祭り”の筆頭(あとはSF大会とワンフェスね)といわれて久しいコミケだが、50万人もオタクが湧いてくるものなのかと。いつからこれほどの大人数になったかははっきりおぼえていないが、秋葉原がサブカルチャーのスタンダードに祭り上げられて以降、オタクの扱いには明確な変化が起こったのだと思う。我々が初期に体験した、キモイ、暗い、臭いといったオタクバッシングは20世紀の終わりとともに歴史の彼方に去り、2001年以降、深夜にアニメを見るのもゲームをやるのも、オタクに限らず誰もがやる普通の文化の中に浸透した。アニメはテレビ局にとっても稼ぎ頭であり、もはや単なるジャリ番の扱いではなくなっている。もう言い尽くされている分析かも知れないが、もはやオタクカルチャーは30歳より若い世代にとっては人格形成の一部に組み込まれた機能と言いきれる。その結実がコミケの50万人という形で現れているといえる。

一方、古参のオタクの間からは濃さが薄まりつつあるとの指摘もある。例えば、一時期企業ブースの半分くらいを締めていたエロゲメーカーの出店が極端に減った。いいことといえばいいことなのだろうが、一抹の寂しさも禁じ得ない。エロ要素はいま、専門業者の手を離れ、地上波でも放送される普通の美少女アニメの中にそこはかとなく挿入される形で生き延びているのが現状だ。素っ裸になった女の子の絵がパッと画面に登場するものの、不自然に差し込む光で局部は隠すというあざといやり方だ。でも、たぶん見ている若者は、あれで大満足とまでは行かないものの、納得はして楽しんでいると思うのである。見えない局部は妄想してしまえばいいだけのことだから。そう考えると、このコミケにおけるほどよいエロの位置づけこそが、表現におけるエロ描写の最適解なのかも知れない。その表現にはもちろん、スク水姿のコスプレなども含まれる。

昨今、エロ描写をめぐり公的な立場からあれこれ指摘する声が顕著だが、こと今年のコミケを見る限り、その指摘が的外れであることははっきり確認できたといえる。

2011年8月11日木曜日

ちゃんと暑い夏がいい!


暑い夏。7月後半が涼しすぎただけに。より堪える。でも、どこかでそれを喜んでいる自分でもある。どこかで、というよりはっきり言って暑ければ暑いほど胸躍るのだ。8月はやっぱりこうでなければ。

昔、ある食品メーカーを取材したとき「暑いときはちゃんと暑くないと困るんです」と言っていた役員の言葉が今も頭に残っているが、季節のバランスとはそういうもの。国の景気を支える根幹だと思う。だから、40℃にも達しない暑さごときで騒ごうとは思わない。暑いと思ったら涼しさに投資すればいい。経済を回すためにも、気候に対して素直に生きることだと思う。

とはいえ、寝苦しさはいかんともしがたい。このブログを朝イチで書くようになって以来、早めに起きる習慣にしているのだが、最近ではむしろ暑さのおかげでより早く起きるようになってしまっている。早起きは三文の得などというが、それも暑さに感謝すべきということなのだろう。

だが、睡眠時間6時間足らずとなると、やはり昼間は眠気がつきまとう。特に昼飯を食べた直後あたり。この時間に予定を入れていないなら、近所のドトールかプロントに入ってアイスコーヒーを口に含みつつのお昼寝タイムである。冷房ガンガンの店内よりも、できれば多少風が通る軒先がいい。10分もウトウトすると、コーヒーの効果も出てきて俄然シャキンとしてくるのである。

節電の夏、巷ではサマータイムが流行りというが、むしろピーク時の電力消費を抑えるなら、1~2時は空調を切って、ひなたぼっこ&お昼寝タイムに当てた方が労働効率はよほど上がるのではなかろうか。実際、TRONでおなじみの坂村健教授が近著でそんな指摘をされていた。今こそスペインに学べ、である。

2011年8月8日月曜日

節電の夏、涼を求めて街をさまよう


一昨日あたりからまた、わが浅草界隈も夏らしい暑さが戻ってきた。寝苦しかったり歩くのもつらかったり、煩わしさも戻ってきた一方で、この時期にこうでないのはおさまりがつかないと、私などは思ったりする。

で、節電の夏である。イマドキ、“いつもと違う”っぽさを確かめるにはコンビニに限る。まず目に付くのはアイス売り場。午後2時頃にはガリガリ君はすでに品薄。発売されて間もない梨味はすでに工場在庫も尽きたとか。1本62円の冷たいもので身体の中から冷やそうというのが、最も手軽な対処法というワケだ。

次いで品薄になっているのが炭酸飲料。なぜか三ツ矢サイダーなど透明なものから減りが早くなっているのが面白い。色の濃いコーラよりも、視点から来る清涼感にまずは引き寄せられるということなのか。とはいっても、コーラが売れてないわけでもない。通り端の自販機も、炭酸飲料を中心に売り切れのランプが付いているものが目立つ。自販機を消して節電に努めよなどとほざいたのはどこの誰だか知らないが、日本の文化において自販機は何においても生命線であることを赤いランプが如実に示している。

そんな暑い土曜日の午後のこと。小腹を満たそうと浅草六区のマクドナルドでチキンフィレオとコカコーラゼロを注文した。すると、通常真っ先に出てくるはずの飲み物の方がなかなか出てこない。店員が言った。「コーラのシロップが切れてしまいました。急いで補充しますのでその間こちらの爽健美茶でおつなぎください」。

爽健美茶の分、特をしてしまったと言えなくもないがコーラが一時品切れになるほど、需要が逼迫していることに驚いた。いまマクドナルドでは炭酸飲料100円セールをやっているそうなのでそのためもあろうが、シュワシュワ感にこれほど暑気払い需要があるとは、改めて驚かされる思いだった。

もう一つ、節電の夏の街の変化で気が付くのが、飲食店の席に必ずといっていいほど置いてあるうちわだ。冷房を弱めていることに対する免罪ということなのだろう。街角でうちわを配る光景も例年になく多いようで、このところ帰宅してカバンを開けると数枚はいっていることも珍しくない。これだけ大量にうちわが出回れば何らかの変化もあろうと思ったら、案の定、うちわの骨を作るメーカーが逼迫状態なのだそうだ。

どういうわけか骨の生産はほとんどが国内なのだという。これも意外だった。アジア周辺も含め、外国にはうちわ文化はないのだろうか。西遊記にはバショウ扇なんてのが出てきていたが。






2011年7月29日金曜日

小松左京を失ったということ


日本SF界の巨人・小松左京が星になった。ネットのニュースやテレビでは「SF作家の草分け」という肩書きが踊っているが、この人ほど作家の枠から逸脱している作家もいない。どこかの新聞が「文明評論家」と書いていたが、これが最も実情に近いだろう。でもそれでもいい足りていない。

「日本沈没」「首都消失」などパニック映画の原作者というのが小松に対する一般的な位置づけだろう。だが、70年代の科学系テレビ番組には彼が必ずといっていいほど登場し、底知れぬ知識と気さくな表現方法で難解な科学の仕組みや日本の未来像をかみ砕いて語ってくれた彼の存在は、この時代の日本を知的レベルにおいてグンと引き上げてくれた。小松左京を受け継いでくれる人間が1人でもいてくれたなら、いまの日本もこんな悲しい国に落ちぶれてはいなかっただろう。それくらい、小松左京はスケールが大きかった。

彼の仕事を引き継いでいるのは立花隆や荒俣宏あたりだろうか。でも小松にはこの2人にないエンターテイメントな感覚が備わっていた。その背景には、青年期に漫画を描いたり、漫才作家までやっていた遍歴がある。つまり小松の語りは紛れもなく面白かったのである。この未来を面白く語る力が、いまのどの評論家にも欠けているのである。いま若手作家や評論活動に従事する人々には、小松のようなわくわくする未来を語れる力を磨いて欲しいものである(無論、自戒も含め)。

人は死ぬとお星様になると言われる。ならば小松左京星なるものには、地球よりはるかに進んだ文明があり常に希望に満ちあふれた世界が広がっていることだろう。かなうことなら死ぬ目出に一度、そんな星へ行ってみたい。